峠シリーズ    入山峠

期  日 2013年1月12日(土)
参加者 単独

コースタイム;赤浜7:55−遠入9:00−牛石8:50−赤坂9:30−町道分岐10:10−鉄塔No.11 10:25−入山峠10:45〜11:00−町道合流11:40−町道分岐12:05−千ヶ渕橋12:20−牛石13:00−赤浜13:30

今日は入山峠を目指す。
峠の情報を調べて行くうちに、この峠は東山道で有るらしい事が解って来た。
では?、東山道とはいかなる道か?
お父さんが通った道?ではな〜い\(^o^)/
所謂、中山道より以前の官道だったのだ。この道は上野の国、今の群馬県を東西に横断していたのだ。
その道は浅間山目がけて真っ直ぐに東から西に出来ていて、幅は12mもある立派な道だったのだ。
それを念頭に松井田の市内を走ると写真の様に、確かに浅間山に向かって真っ直ぐな道となっている。
ではなぜ此処が東山道なのか?
それはこれから歩く入山峠に証拠が有るからなのだった。
松井田を過ぎ横川から国道18号線の旧道を行く
すると坂本駅に出る。
坂本は東山道が信濃の国から上野の国に入って最初の駅である。(東山道の時代は宿とは言わないで「駅」と言った。
坂本に入って直ぐ左側に「白髭神社由緒」の看板があった。
看板を左に入ると歴史を感じさせる石碑が沢山並んでいた。
白髭神社はそこにあった。
中山道の通りからは逸れている。
同定は出来ないが、この神社の前が東山道では無かったのか?。
車を一旦Uターンして碓井バイパスから入山に向かう。
県道92号線方面へ左折。
裏妙義、三方境登山口のところの路肩に駐車。
此処から歩くことにした。
車はもっと先まで行く事は出来るが、せっかくの峠歩きなので、入山峠の名前の入山から歩こうと思う。
歩き始めると直ぐ左に馬頭観音や双体道祖神があり、今は寂れた道だが昔は重要な道だった事が覗われた。
馬頭観世音は右に
勢い余ってぐんぐん歩いて、写真右に見える橋を通り越し明賀まで行ってしまった。明賀橋の名前を見て気付き慌てて引き返した。
橋の左には石碑が建っていたが、無学の私には読むことが出来なかった。
橋の名前は赤浜橋、入山川を渡った。
赤浜橋を渡ると直ぐ二股になり、双体道祖神がある。
此処は右に向かう。
すると道路工事か水道工事をしている橋、遠入川に架かる神景橋を渡る。
一旦碓井バイパスの歩道を歩き、高速道路の橋脚をくぐってからまた左に入る。
ここを左折
少し行くと左折の橋、片地橋が有るがこれは渡らないで真っ直ぐに進む。
正面に矢ケ崎山が見えて一番左の窪みが入山峠。
左側には稲村山が立派に見える。
何の謂われも書かれて居なかったが、石を彫った立派な牛の像が有った。
見た目、まだ新しい。
集落の二階のベランダは昔の面影をしのべる作りだった。
二十三??
遠入の集落。
入山峠がだんだん近づいてきた。
矢崎川という地図に無い川
橋の名前は野暮ったい。
行には気付かなかったが、実はこの橋を渡ったら右に林道があり、それが入山峠への旧道の様であった。
矢崎川を過ぎて直ぐに遠入川に出る。
この箱の手前に林道らしき道跡が有るのだった。
こちら遠入川に架かる橋は年代物の重さを感じる「千ヶ渕橋」
そしてこの道は「町道入山峠線」

今では碓氷峠への旧道とバイパス、それに上信越道が通り、全く必要のない道として廃れてしまった。

こちらの道の方が軽井沢へ出るのには傾斜が緩やかなのに、残念である。
遠入集落最後の一軒家の先にまたこの様な石碑が有った。
読めない。
道祖神もある。
途中、稲村山登山口の標識あり。
更に行くと赤坂橋。
最終の集落赤坂、これ以上山奥に人家は無いが、思いのほか明るい雰囲気だった。
集落を抜けると「子連れ熊に注意」の怖い看板。
掘割状遺構発見!
でも帰り道に検証して見ると違う様だった。
町道をぐんぐん行く。
ここは右から来たところ。
帰りは左方向に行こうと思う。
日陰には雪が残っていた。
碓井バイパスをまたぐ町道の橋。
更に行くとバイパスと並走する所もある。
町道が左に行き、入山峠から遠くなるし、東山道がそのような経路とも考えにくいので此処から掘割状遺構らしいところに入り込んだ。
しかしそこは単なる山で、踏み跡は皆無であった。
僅かに獣が通る踏み跡程度。
構わず登り上げると東電の送電鉄塔に出た。
鉄塔番号11であった。
此処からの展望は良い。
杉の植林には送電線の巡視路が出来ていたので、これを利用して登り切ったら
入山峠頂上、碓井バイパスに平行する町道に出た。
車は全く入れないのか草木が生い茂っていた。
入山峠の祭祀遺跡
古代の旅人は山の峰(峠の頂上)等で神々に「ぬさ」を奉り道中の安全と家族の安泰とを祈願して旅をつづけた。その折、使用された「ぬさ」石製摸造祭器がこの頂上付近で数多く発見された。これによって入山峠は古代の官道東山道の通過地点として考えられ古代交通上の貴重な史跡となった。
「ぬさ」はやわらかい石で作ったもので、小型の方形円形のもの、剣、曲玉、管玉等で、それぞれに小さな穴があいていて、これを糸を通して布などと一緒に木の枝(玉ぐし)にかけ神にささげたと言われている。
軽井沢町教育委員会とあり、群馬県の名前の無い事は悔やまれる。
来峠記念に標識を設置した。
祭祀跡の向かいにはこの様な石碑も立っている。
私の歩いて来た道とは違うところに石畳が下へと続いていた。
帰りはここを下って正規の入山峠ルートを探ろう。
長野県側の町道は荒れてはいなかった。
町道の左下にバイパスは通っている。
町道は橋でバイパスを横断していた。
では旧道はどうなのかと云うと、バイパスを横切って反対側に延びていた。
そこには掘割状遺構が軽井沢別荘地の方向へ続いていたが、情報によるとこの先は別荘地で無くなるとの事なので、ここで引き返すことにした。
峠からの石畳を下ると、急斜面に道がジグザグにしっかり残っていた。牛馬が通れるほどの斜面だった。
展望も良い。
でも人通りが絶えて久しい道は、この様に倒木や雑草が生えて荒れ放題だった。

ここで群馬県に提案。

この際、群馬県の東山道を詳しく検証して観光の役に立てることは出来ないだろうか。
歴史の道を辿ることくらいロマンに満ちたことは中々無い事だろう。
その道が群馬県を横断しているのだから、観光資源にしない事は宝の持ち腐れと言われても仕方ない。
すっかり歩きにくい道では有るが、何百年も歩かれた道だけに、掘割状遺構が残り全く道が消えた訳では無かった。
途中砂防ダム工事の現場が有ったが、かろうじて旧道は壊されずに残っていた。
石垣等は昭和になってから改修したのだろうか。
碓井バイパスが眼下に見え、そこまで長いハシゴが架かっているところが有った。
更に山道を下った。
此処は屈曲点、向こうから歩いて来て此処を左折する所、木の杭みたいなのが見える。
少し下ると登りに通った町道に合流した。
町道とは分かれてまた真っ直ぐ山道に入る
山道は細いが、道型は残っていた。
ここは橋が流されていた。
だんだん里に近づくと笹の藪が行く手を阻むようになった。
右下には堰堤があり、湖水は氷結していた。
いよいよ最後に近づいた雰囲気
遠入川の脇に出た。
これで旧道のルートは繋がった。
猿の夫婦が仲良く遊んでいた。
遠入の集落から山急山を見る。
裏妙義の山
ズームアップすると丁須ノ頭が見えた。
元来た道を帰って我が愛車の待つ三方境入口まで戻った。
天気も良く、目的も果たしてこの上ない心地よい気分であった。
inserted by FC2 system