峠歩きシリーズ 日光坂峠・奈良坂峠
期 日 2013年2月9日(土)
参加者 CL椛澤 他2名
コースタイム;桐生警察署大間々分庁舎7:50−日光坂峠8:45−下神梅9:25−桐生警察大間々分庁舎10:00
八木原10:25−奈良坂峠11:05−塩沢11:25〜12:00−奈良坂峠12:25−荒神山13:00−八木原14:00
今日は峠シリーズ 大間々(みどり市)の日光坂峠と奈良坂峠を歩く。 峠の資料はHPに公開している「激坂調査隊」のページが大変参考になった。 車を止める場所は事前に決めては居なかったので、大間々警察署に頼むことにした。 快く停めさせていただき、出発。 国道122号線を南に向かい斜め右の小道に入り、更に右折。 その昔、手振山368mの裾野が渡良瀬川まで流れ落ち断崖を形成していて、通行困難な為に、この道が頻繁に使われていたと云う由緒ある道のようだ。 その後明治30年代に渡良瀬川沿いに新道が開鑿されるまで、銅や繭の流通の道であったのだ。 |
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燧坂と呼ばれていると云う舗装されている坂を登る。 | |
ぐんぐん登ると瀬戸ヶ原集落にでて、一気に展望が開けた。 | |
集落の先を左カーブして登りあげたところにある「瀬戸ヶ原配水地」 | |
配水地から北方を見ると道が直進と左折になっている。 此処は正面の山に向かって左折する。 |
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養鶏場の前を通って畑の終わる所まで行くと行き過ぎで、50m程手前から、微かな踏み跡程度の畑の畔を行く。 | |
すると昔からの道の様な掘割状遺構と思しき道になり、雑草も刈り払われた歩き易い道になった。 | |
東電の送電鉄塔の巡視路案内の看板が有るが、これに迷いこまないで道なりにゆく。 | |
するとあっけなく日光坂峠に到着した。石の道しるべには「此方・桐原大間々方面」 とはっきり読めた。 |
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片方には「此方・足尾日光方面」と刻まれていて、なるほど此処が街道だった事に間違いなさそうで嬉しい。 | |
一応日光坂峠としたが、燧坂峠と云う説もあるようだ。 | |
峠は展望は無いが結構広い。 白い杭に下に道導の石標が有る。 |
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峠から下神梅に向かって北に向かうと、道は二股になっていたが、我々は迷わず左の降っている道を選択した。 | |
林道らしく軽四輪は充分通れる広さで、下草も刈ってあった。 | |
更にS字カーブを下ると奇麗な水が滔々と流れているところに出た。 | |
その水は大間々用水で有った。 この後、国道122を歩いていると、この用水は大間々の市内に向かって流れていた。 |
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下神梅に下って辺りをきょろきょろ、十二山神社を見つけたが、見当たらづのぼり旗を留める台のコンクリート柱に、お地蔵様の台座らしい石の彫り物だけが道端にあった。 |
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国道に出て、大間々に向かいただ歩くのみ。 | |
すると明治34年8月と彫った馬頭観音が路傍に立っていた。 | |
福岡大橋の信号のところに、大きな記念碑はいくつか建っていた。 そのひとつは先ほど書いた大間々用水開通記念のこと。 |
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そしてもう一つは、日光新道開鑿記念の碑で有った。 | |
大間々警察署まで帰って来た。かなりユックリ歩いたつもりだったが二時間で一周した。 お巡りさんが出て来て、「ずいぶん早かったねー\(^o^)/」と驚いていた。 車を停めさせて頂いたお礼を申し上げて、警察を後に次の峠歩きの水沼駅に向かった。 |
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次は奈良坂峠。 銅山街道の一つとして、また繭を桐生に運ぶ道として当時は盛んに利用されていたらしい。 因みに荒神山への登山ルートも歩いたが、こちらは銅山街道ではない。 |
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水沼駅前を通ってくろほね大橋を渡り県道257号線の路肩に車を止めた。 | |
まずは荒神山への指導標に従って右方向へ登って行く。 | |
真新しい案内が光っている。 | |
登りあげてすぐにまた右に曲がる案内があり、此処を曲がる。 この道が銅山街道なのだ。 |
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舗装された道がどんどん高度をあげて延びていた。 | |
高度をあげ、杉林を抜けると赤城山が目の前に雄大な姿を現した。 | |
荒神山への登山口の駐車場。 荒神山へはここから左折するが、我々は道なりに真っ直ぐ進む。 |
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すると舗装は終わり、ダートの下りとなった。 | |
でもほんのちょっとで、明らかに尾根を削った切り通しが有った。 | |
どうやらここが奈良坂峠らしいので、土手の上を見ると「有りました!」 馬頭観音様。 |
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天保3年辰年1月吉日と刻んである。1833年、今から180年前のものであった。 | |
何の表示も無いのは寂しいので峠の標識を設置した。 | |
峠から塩沢に向かって下る。 道は狭いが通れる。 |
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塩沢の最奥の集落に着くと赤いペンキに塗られた観音様だろうか。 日当たりが良いのでここで昼食をとった。 |
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そこにはこの様な石の刻み文字が有ったが良く読めない、庚申塔かな? | |
激坂氏のHP曰く奥に見える建物は立派なので、明治時代旅人相手の茶屋を営んでいたと云う家だろうか。 | |
塩沢の集落に下って来た道は林道で、本来の街道ではなさそうだった。 そこで集落に中に道があったので、そこを北に向かった。すると大きな庚申塔が村はずれにあった。 その脇にはこれより山中と読める文字も刻んであった。 |
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しかし、その庚申塔の前の道を真っ直ぐ進むと、方向が違う様なので左に曲がる藪道を行ってみた。 | |
全く人の気配を感じない手入れされていない道跡が有った。 長年山歩きをしてる私は、この掘割状の窪みは間違いなく旧銅山街道だと感じてどんどん行く。 |
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すると案の定、先ほど下って来た道に合流、すぐ上が奈良坂峠であった。 | |
荒神山登山口の駐車場からは赤城山の雄姿が劇場の如く眩しい。 | |
沢山歩いた後なので、荒神山山頂は疲れて遠く感じた。 やっとこ着いた山頂には二等三角点が埋まっていた。 |
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Tさんと久しぶりのツーショット。 | |
帰りは山頂から直接下る遊歩道が有ったのでそちらを下り始めると北面の為か雪景色であった。 | |
一旦舗装された銅山街道に降り立ち、林道を左折して、激坂調査隊のHPに書いてあった、ガードレールの切れたところを右に入る、を思い出してその道を下ったら、下りきったところの右手に沢山の石仏らしき遺物が有るのを発見。 | |
これは何だろう? | |
そこを過ぎ、県道に出たところの角にはこの様な道しるべが有った。 水沼・花輪・赤城道 |
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塩沢・福岡・大畑・小夜戸道 | |
續V代・福岡・大間々道 | |
これはこんな感じで建っていた。 興味が無ければ間違いなく見落とすであろう。 |
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一回り廻って車に到着。 由緒ある道が見捨てられていた寂しさはあったが、今後この様な道に光が当る古道ブームでも起きてくれたら嬉しいのだが、でも予定通り歩けて良かった\(^o^)/。 |