峠歩きシリーズ   地蔵峠(No.19)倉淵〜松井田&小栗上野ノ介史跡巡り

期  日 2013年12月1日
参加者 CL椛澤 他6名

コースタイム;高崎市倉淵支所9:00−徒歩ー観音山小栗邸跡10:10ー徒歩ー東善寺10:40ー倉淵支所12:50ー車移動ー小高用水13:05ー車移動ー顕彰慰霊碑13:30−車移動ー姉妹観音13:50−車移動−峠途中の道しるべ14:10−車移動−地蔵峠14:30

今年6月以来半年ぶりの峠歩きシリーズ、今回は高崎市倉淵町(旧倉淵村)の小栗上野介の史跡を巡りながら、最後に地蔵峠を目指す観光コース。
倉淵は全国的にも珍しい、道祖神の里でも有るので、倉淵に入ってすぐのところに有る「落合の道祖神」を見学した。
男女が和合する、とっても珍しい道祖神。
横に説明文が有って分かりやすい。
倉淵支所に車を停めさせていただき、ここから歩く。
隣の敷地には道の駅の工事が急ピッチで進んでいた。どうやら小栗上野介のことを宣伝する道の駅になるみたい。同県人として大いに広めて頂きたい郷土の偉人である。
休日とはいえ車の往来が盛んな国道、此処を避けて右の山道に入ったのが運の尽き、最後にはヤブを漕いで、国道に戻ったのだった。
普段何の気にもせずに通り過ぎる道も、歩いて見ると、珍しい史跡の有るのが分かった。
岩窟観音、目張りして有り、中は覗けなかった。
今日の予定の一つ、小栗邸跡。
官軍に目を付けられて悲運のきっかけともなったこの地に立って、遠く昔を偲べば感慨ひとしおである。
此処に建つ予定だったお屋敷は、群馬町に移築されて現存している。
後日見学に行こうと思う。
山の上に有るこの場所には、しっかり水も引かれていた。
現存する礎石
長閑な風景
刀工、上州権田住政重なる人物の史跡。
歩いて解る郷土の偉人。
ここ、倉淵は草津裏街道と榛名神社参詣道の交差する交通要衝の地であった。
その為昔は相当賑やかな往来が有ったのだろうか。
この様な立派な建物も普通に残っていた。
小栗上野介墓所が有る東善寺。
上野介の遺品や由来の品が沢山展示されている。
石の階段を上り詰めるとそのお墓は有った。
江戸幕府きっての頭脳明晰の上野介は、日本の宝でもあったが、不幸にしてこの地の土に果てたが、その功績は末の世まで語り尽くされることであろう。
東善寺の中を拝観させて頂く(拝観料100円)
所狭しと見事な資料が羅列されていて、歴史好きな人には堪らないことだろう。
きらびやかな御本尊様
東善寺を後に、途中田圃の畔で陽だまりランチを楽しむ。
一旦駐車場に戻って、車に乗って小高用水を見学した。
上野介が近代的測量を行い、水不足で困っていた小高の集落に遠い所から引いた水路は、枯れる事無く今でも滔々と流れていた。
「偉人、小栗上野介、罪なくして此処に斬られる」幕末の悲劇場所、顕彰慰霊碑は烏川の河畔に有る。
合掌
次に姉妹観音
小栗家用人の塚本真彦家族は西軍の探索を逃れたが、山奥深い寂しいこの地に幼い童女二人が命を落とし、埋められた。
可哀そうなこのお話は涙なくしては語られない。
謂われ書き
この写真は小栗上野介とは関わりは無い。
地蔵峠の関連。
元禄の道しるべとして大切に保存したいものである。
今日、最後に地蔵峠を訪れた。
3歳5歳の二人の姉妹を相間川の山奥に別れ、塚本真彦の母ミツと娘チカ8歳は七日市藩(富岡市)へ逃れるべくこの峠に差しかかったが、ついにここで力尽き、自害したのであった。

峠歩きは悲しみとの出合でもあった。
最後に参加者の須田さんがKさんの誕生日祝いのケーキを用意してくれたサプライズ。
世の中にはそうした気づかいの出来る人が居るのだ。
私は全く気付かなかったのだった。


この後、松井田側の、早春に福寿草祭りの行われる木馬瀬へ下って、峠歩きは終了した。
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