蝋梅忌&駒込富士登山

期  日 2015年2月7日(土)

毎年2月第一土曜日は私の敬愛する「尾崎喜八先生」を偲ぶ蝋梅忌が催され、これに出席する事は年に一度の楽しみである。
場所は決まっていて四ツ谷駅前の主婦会館、プラザ・エフ。
時間は13時からなので、貧乏症の私は時間が勿体ないと、その前に東京散策をする為、早朝前橋を出発するのが恒例となっている。

西の空にお月さまが冴え冴えとしている時間に高崎駅を出発。
今はまだ上野行きだが、一ヶ月後には東京行きになるのだろうか?
今日の予定は大変なハードスケジュール。
先ずは先日NHKテレビで放映していた東京駅の一部探索。鉄道少年に早変わり。
これは昭和5年浜口首相が拳銃で撃たれた現場を示す。
横の柱にプレートが埋め込まれていた。
中央口から入って新幹線乗り場へ向かう階段の手前。
次に大正10年原敬首相が短刀で刺された現場
壁にプレートが有る。
ここは東京駅構内では無く、南口を出たところに有る。
今回私は飛んでも無い勘違いをしていた事が判明した。
それは、東京駅の正面玄関は西に向いていたこと。
今まではその逆で東京湾方向へ向いているものだと思っていたのだった。
過去に東京へは何度も来ているが、東京駅に降り立ったのは数回で、目的が有ったから、外観を見る事も無く過ぎ去ったのだ。
正面玄関
素晴らしい!
向かって左側にはリュウノヒゲがびっしり敷き詰められていた。
最近のJRについて一言。
以前は高崎駅で、東京往復山手線内当日乗り降り自由のチケットが購入で来た。
しかし現在はその様なチケットは存在しないようだ。
その為、仕方なく都区内パスチケットを購入した。
どんぶり勘定から重箱の隅まで一つ一つ洗い直したらこの様な結果になったのだろうが、実質の値上げであり、とても残念である。
これは中央線の起点を示す。

以前、中山道歩きをした時に見た、日本橋にある国道起点標識と同じようなもの。
1番線ホームの線路脇に有る。
4番線と5番線の間の線路脇に有る起点標
どちらからでも見る事が出来る。
中央部分を拡大して見ると

起点
(国鉄キロ程基準原標)
昭和44年12月20日作成
(東京駅開業55周年記念)

と読める。
「お江戸超低山さんぽ」 中村みつを著 書肆侃侃房出版の本を参考にこれからは都内探検。
先ずはソメイヨシノ発祥の地
JR駒込の北川の小さな公園内に有った。
勿論後方の樹はソメイヨシノでしょう?。
これが河津桜だったりしたらら笑えるのだが。(●^o^●)
分かりやすい親切な説明文
次は中山道歩きで立ち寄ったことのある六義園
今日メインの一つ、登山開始は150円の入山料
最初は300円と思ったがよくよく見ると65歳以上は何とやら。
先月65歳になった私が初めて行使する権利、65歳の証明証を提示。
すると切符を販売していたおばちゃんがにこにこして「ゆっくりして行って下さい」と言った。
一度来た事が有るので登山口へ真っ直ぐ進む。
橋を渡る。
登山口には案内があった。
いよいよ登山開始、階段を登って行く。
ジグザグに出来た登山道を振り返る。
段数は51段だったが息が切れた。
他にも登山道が有るが、そちらは傾斜がきつく危険なので通行止め。
登りきった山頂は素晴らしい展望で「富士見山」とも呼ばれ、往時は実際に富士山が見えたらしい。
山頂はこの様になっていて、手前の角石はお殿様が腰掛けたそうだ。
登山を終えたら本郷通りを南へ行く。
本郷通りの交差点を入るとすぐに立派な鳥居があった。
内に入ると石段があり、その脇には夥しい石碑の数々。
ここは駒込富士とも呼ばれ、富士山信仰が盛んで、6月下旬〜7月初旬には山開きが行われるという。
次に立ち寄ったのは吉祥寺
吉祥寺と言えば杉並区が有名だが、こちらが本命らしい。
駒込吉祥寺と言う様だ。
榎本武揚のお墓
二宮尊徳のお墓
  八百屋お七の比翼塚 
次は目赤不動。
目赤とくれば、目黒のさんまや、目白御殿があるが、目青や目黄もあるのかな?
成る程、江戸五色不動の一つだった。
興味のある方はリンクからご覧になってください。
お不動様
私が訪れた時に沢山の人がお参りをされていた。
調べてみたら五色不動巡りの人気があるようだ。
急ぎ足で廻った駒込界隈、さすが東京はちょっと歩いただけで由緒ある建物や歴史に触れる事が出来た。田舎者の私にとって羨ましい限りだった。

そして初めて乗った東京メトロ。本駒込駅はいきなりエレベータで地下のホームへ下りる。
そして初めて転落防止ドアのある地下鉄に乗ったのだった。
初めてづくし v(*^_^*)
急いで四ツ谷駅へ。
少しだけ時間に余裕が出来たので迎賓館を散歩。

中央の建物が今日の会場、主婦会館
会場には喜八先生と實子婦人のお写真にロイバイのお花が飾られていた。
幹事の堀さん、喜八先生のお子様である榮子さんと歓談する私。
榮子さんは気丈にも起立なされてお話をされていた。
今回新たに仲間に加わった「幸福」さんと言う名字の方が自己紹介、正におめでたい席となった。
乾杯の音頭で立食パーティーの始まり。
待ってました!(^^ゞ
色々な料理が並び、写りきらない。
喜八先生のお孫さん、石黒さんのお話を聞きながら舌鼓をうつ。
その中で、2月22日(日)の読売新聞日曜版、トップページの名言巡礼に喜八先生のことが 載るとのお話が有った。
普段新聞を読まない私だが、その日の新聞は是非とも読まなきゃ。
今回は、昔尾崎先生がラジオ出演された時の録音を、肉声で聞く事が出来る楽しみが有った。
また、その後鎌倉の「笛」のご夫婦と仲間たちによる笛の演奏会がありとても楽しかった。
歓談を終え高崎線で帰る途中向かい側に座ったおじさんが私に話しかけて来た。
私は疲れていたので寝ようと思っていたが、人のよさそうな方だったので、ついお話に乗ってしまい、結局高崎終点までお話をしてしまうのだった。
小山さんと言うこの方は、78歳で東京の厚生省へ用事が有って行って来たという。中国戦争孤児の一人で、孤児を代表して政府と交渉をしているとの事。
中国での苦しく大変だった事を話されていた。涙もろい私は、ぐっと堪えながら聞いていた。
私たちはすっかり忘れていた戦争孤児のこと。
今でも日本語が理解できずにいる人や、老後身寄りが無く心配で仕方ないひとのこと、切々と話されていた。
気付いたら高崎駅、サヨナラのかたい握手を交わすその手は実に力強く私はビックリした。
高崎駅、人が賑やかに往来していて、前橋駅の閑散とした寂しさとは大違い。
仕事柄、気になる風景だった。
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