日本中央分水嶺踏破シリーズ No21
           茶臼岳ー権兵衛峠

期  日  2015年9月21日(月祝)
参加者  椛澤単独行

コースタイム;自宅2:10−権兵衛峠5:15−桂小場6:05−馬返し7:55−大樽避難小屋8:25−津島神社9:15−茶臼岩分岐9:50−
         大樽避難小屋11:30〜11:50−馬返し12:15ー1898m(烏帽子)14:20−ジャンボカラマツ15:10−権兵衛峠15:40

8月下旬から先週まで天候不順というか、雨が続いたので、予定していた分水嶺歩きが延び延びとなり、ようやく今日実行することとなった。
その前に、今回のルートはどのようにして歩くか?出発地点は?下山は?ぐずぐずしていたのも事実。

そして結論に達したのが今日のコースとなった。

先ずは権兵衛峠の駐車場にミニバイクをデポして、一路桂小場登山口に向かう。
桂小場登山口。
木曽駒ケ岳のロープウエイが開通する前は、ここの登山口がメインルート
新田次郎の小説「聖職の碑」の舞台となったルートである。
(大正2年)8月26日に長野県中箕輪高等小学校総計11名の尊い命が失われる大遭難事故となった。
登山口にはこのような案内板があった。
相当な人気コースと見えて、踏み跡はしっかりついている。
少し登ると「ブドウの泉」の水場。
さらに行くと「野田場の水場」
今年は水量が多いのかな?
馬返しで分水嶺の稜線に出る。
この馬返しから権兵衛峠への分水嶺は茶臼山分岐までピストンしてきてから歩く。
馬返しからは駒ケ岳の方向、茶臼山分岐に向かう。
しばらく行くとこのような看板と、石碑があった。
碑文には
  青暗い林の中
  級友がうめいている
  お父さんお母さんに会いたい
  「出発」の声で
  先生が頼もしく輝いた
と刻まれていた。
さらに登ると下草は無くなり苔に覆われた快適な登山道となった。
大樽避難小屋は小さいがしっかり管理された小屋のようだった。
弘法石から急な坂道、胸突き八丁となる。
指導表も斜めっていて、いつ朽ちるか時間の問題か?。
朽ちた看板にはヒカリゴケ生息地と微かに読めたが、ヒカリゴケは存在しなかった。
高度を上げると、周囲が黄葉してきた。
さらに行くと真っ赤なナナカマドが覆いかぶさってきた。
遠くの山肌も紅葉に染まっていた。
今日の目標地点。
指導表に分水嶺と書かれているのは嬉しい。
北東から来た分水嶺はここで進路を北北西へと下り、行者岩から茶臼山、大棚入山へと高度を下げながらさらに北上して鉢伏山で、進路を西に変え、、日本中央分水嶺の最高地点乗鞍岳へと続くのだ。
標識を少し入ってみると行者岩の鋭鋒が素晴らしい。
この次はここからあのピークを踏んで北上するのだ。
分水嶺の先端を後に下山を始めた。
高山の秋は早い。
咲き残っていた花はセリバシオガマとミヤマアキノキリンソウだけだった。
これはお馴染みのゴゼンタチバナの実
大樽避難小屋でランチタイム。
小屋の外にはトイレボックス
ここは携帯トイレの用紙が常備され、トイレボックスで用足し後、ボックスの右にある容器に捨てられるのである。
最初は使用後の一物は持ち帰るのかと思ったが、この様に捨てられると便利である。
馬返しまで戻って、ここからは登山道の無い稜線歩き。
権兵衛峠へ向かう。
でも最初はしっかり草刈りがされていた。
案内標識もある。
だんだん踏み跡が怪しくなってきた。
ありゃりゃ!
道がなーい。
でもこれは数十メートルだけで、また踏み跡はあった。
休憩していて、ふと足元を見ると何やら動く物体が!
あれー!(>_<)
又してもダニだー。
と言うのも、先週東北の白神岳でも私に好意を持ったダニ様が居たのだった。
先週はお腹がぷっくらしていたが、今日はぺったり。
お腹が空いているのかなー?先週より動きが悪いダニ君。
ドンドン下って1898mピークの手前。
ここには烏帽子と書いた標識が立っていた。
かわいいキノコ
烏帽子の先1898mのピークまで行ってみると、南沢山と書かれたテープがあった。
これが本当の名前なのかな?
私は山名が分からないので標高だけのプレートを付けてきた。
1898mからまた少しだが、身の丈を没する笹薮に行く手を阻まれた。
そしておおむねこんな感じの踏み跡。
絆のカラマツと命名されたカラマツは見る前の想像した通りだった。
ジャンボカラマツ、カラマツも放っておけばこのように大きくなるのかー?。
ジャンボカラマツから権兵衛峠へは、見学者が多いのか?踏み跡はシッカリついている。
そして目標の権兵衛峠到着。
ちゃんと分水嶺の石碑もあった。
私費を投じて権兵衛峠を開いた、権兵衛さんの碑。
この偉大な事業も、現在はトンネルがこの下を貫通していて、峠は昔の風景に溶け込んでしまった。
峠の先の駐車場にはデポしたミニバイクが無事に待っていた。
ミニバイクで権兵衛峠トンネルを走ることは、とっても怖い。
ほとんどの自動車は7、80kmのスピードで私の横すれすれに通り抜けるのだった。それの中央分離帯があるため。

帰途、夕食や温泉に入って帰宅したのは23:15だった。朝2:10に家を出たので21時間の行動時間、疲れたわけだ。
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