瑞牆山                                                        

期  日 2019年4月7日(日)
参加者 CL椛澤 内田 生方み 押山 平 松崎 関口 石関
タイム みずがき山荘7:15ー富士見平小屋8:15-桃岩8:55-瑞牆山10:40~11:30-富士見平小屋13:50-みずがき山荘14:30

瑞牆山荘の先に広い駐車場が有った。
以前に訪れた時には、このような駐車場は無かった様な?
それとも私の記憶違いか?
富士見平へ向けて歩いてゆくと「里宮様」の案内が有ったので少しだけ寄り道をした。
由緒書き
富士見平小屋を通り過ぎ、登ってゆくと正面に迫力のある瑞牆山が岩を屹立させて聳え立っていた。
更に行くと登山道は踏み固められた雪と解けだした雪が夜間に凍結して、ガチガチのアイスバーンとなっていた。
危ないので軽アイゼンを装着。
これで安心。
天鳥川を過ぎた所には変わらない姿の桃岩が有った。
日当たりのよい場所には雪も無かった。
ここの辺りは大雨によると思われる土砂崩れの跡が残り、御覧の様な立て看板が立っていた。
日陰は凍り、日向は乾燥の繰り返し。
階段が新たに設置されていた。
不動滝方面からの登山道と合流
春霞と黄砂が入り混じって遠望は利かない山頂。
東側には迫力の世界が有った。
山頂直下の岩峰、大ヤスリ岩?かな
山頂を後に下ってくると対岸の斜面にダケカンバが、今や遅しと新芽を膨らませて、お花が咲いたように美しい風景を見せてくれていた。
下山途中15年ぶり?の山越さんと出会った。とても懐かしかった。
クサリやロープが有るので安心だが、氷の斜面には冷や冷や。
危なっかしい階段?
富士見平に登り返す。
日陰は真っ白な雪。
富士見平小屋。
鹿の三種ソーセージを売っている看板が有ったので購入しようとしたが、残念ながら売り切れだった。
途中数滴の雨が降った様だったが合羽の出番は無くて良かった。
無事駐車場の到着。
その後金山平に寄って小暮理太郎翁の碑を見た。
20年来の希望が叶って嬉しい。

どこに有るのかが解らず金山山荘のご主人にお聞きしたら、とても親切にわざわざ表に出てこられて教えて下さった。教えられたとおりに山荘の裏を小高くなっている場所目掛けて登ってゆくと、立派な碑が有った。
私と同じ群馬県の人。
以前に「山の憶い出」を読んでから忘れられない人となった。
=木暮理太郎こぐれりたろう=
1873年、群馬に生まれる。東京帝国大学哲学科中退し、雑誌編集者を経て東京市史料編纂室嘱託となる。日本山岳会第3代会長。1893年から本格的な山登りを始め、奥秩父、上越、南北アルプスを中心に晩年まで幅広く活動した。特に明治末期から大正前期田部重治らと行った、奥秩父や黒部峡谷、上越国境の山々の紹介などは、まさに日本登山史上の探検時代を担った大先達と言える。等々
(平凡社ライブラリー木暮理太郎著「山の憶い出から抜粋)
裏面にも銅版が埋め込まれていた。
拡大
正面の金峰山を見ている翁の碑
小屋裏、あの小高いところに碑は有る。
主人が親切なので今度はここに泊まってみようと思う。
 帰途、黒森集落の上に聳える瑞牆山は殊の外御立派であった。
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