一切経山(福島)他観光

期  日 2020年9月19日(土)~20日(日)
参加者 CL椛澤他5名
タイム  19日
      浄土平9:50-酸ヶ平10:40-一切経山11:45~11:50-酸ヶ平12:50-浄土平14:05~~~飯坂温泉「福住旅館」泊
      20日
      福住旅館ー福島県会津若松市他周辺観光

今日の天気予報は曇り時々雨となっていて、全く期待はしていなかった。案の定、福島西ICを降りて高湯方面に向かって車を走らせると低く垂れこめた黒雲から雨が落ちてきた。
山は止めて観光にしましょうか?と言うもっともな意見も出された。
しかし、低い雲なので、もしかすると雨雲の上にまで車で行くかも?の微かな望みを胸に、車を走らせる。
天気予報が悪いせいか浄土平に着くと、駐車場も4割ほどの空きが見られた。しかし、そこには雨の降った形跡の無い乾いた路面があった。
浄土平から酸ヶ平・鎌沼方向へ続く木道。
まだ紅葉はしていなかった。
一切経方面は厚い雲に覆われて・・・。
振り返ると浄土平の向こうに吾妻小富士。
一分紅葉したものもある。
オヤマリンドウ
酸ヶ平避難小屋を過ぎると森林限界を過ぎて見晴らしが良くなる。
眼下に吾妻小富士が見えてきた。
写真では分からないが、登山者が沢山見えた。
一切経山山頂到着。
一等三角点だった。
淀んでいた雲はいつの間にか消えていた。
魔女の瞳とも呼ばれている五色沼が綺麗な色をしていた。
山頂は冷たい風が吹いていたので、直ぐに下山開始。
眼下に鎌沼が見えたが、今日は鎌沼回りは止めて下山する。
オヤマリンドウの親子
シラタマノキ
今日は登山半分観光半分なので飯坂温泉「福住旅館」に宿泊。
GO-TOキャンペーンで35%割引、料理は豪華だった。
出ている料理だけでお腹いっぱい。
後から出てくる栗ご飯やデザートが食べられず、残念。
こんな感じ。
私だけ座高が高いので大きく見えるが (>_<)。。。(^_^;)
2日目

高速道を南下。
最初の観光は野口英世記念館
来てビックリ!
私の記憶に無い立派な建物が立っていた。
野口英世生家も立て替えたらしく、以前の面影が失われていて寂しい思いをした。
以前はもっとこじんまりした小さな家だった。
でも内容は充実していた。
「志を得ざれば、再び、この地を踏まず」
「天才なんてあるもんか、だれよりも三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ」
「忍耐は苦い、しかしその実は甘い」
「科学の献身により、人類のために生き、人類のために死せり」
研究した事1
研究した事2
研究した事3
次に向かってのが「会津藩校・日新館」
什の掟書き
日新館由来書き
建物内部の様子。
見どころ沢山で時間がかかった。
次に白虎隊自刃の飯盛山
正面に見える黒い筋が階段、結構長く疲れた。
脇には有料でエスカレーターが有った。
勿論横目に見るだけ。
登り切った場所には沢山の慰霊碑や慰霊塔が立ち並んでいた。
沢山の人がお参りをしていて、今なお白虎隊を忍ぶ人たちの多いことに私は嬉しくなった。
脇にも慰霊碑
お線香を上げて手を合わせます。
私の好きな「白虎隊」の歌詞を刻んだ碑。
概略が分かる説明文。
なるほど!
山頂から少し下ったところに白虎隊自刃の地が有った。
左側の像は鶴ヶ城を見ている。
詩吟の最初に出てくる文言のことを現している。
中央の黄色い文字が見えるかな?
あそこが鶴ヶ城
白虎隊自刃の経緯を現わした看板。
次は、その鶴ヶ城観光。
広場では丁度白虎隊保存会の方が「白虎隊の歌」を歌っていた。歌の最後の詩吟の吟詠は殊更心に響いた。
立派な姿の鶴ヶ城。
舞台では今風の踊りも披露されて、ソーシャルディスタンスを取って見物していた人たちから拍手喝采を受けていた。
次に御薬園
御薬園(会津松平氏庭園)の由来

室町時代に会津領主が別荘を建て、江戸初期にこの地で各種の薬草を栽培。庭園は江戸中期に作庭家でもあり絵師でもあった・目黒浄定(めぐろじょうてい)によって大改造され現在の姿になった。昭和7年に国指定名勝を受ける。月亭庭園、攬勝亭(らんしょうてい)と並んで会津3庭園とも言われる。

入場料を払って門をくぐる。
実際に薬草畑が有って、我々が高山植物として見ていた草木が沢山有った。

会津若松の庭園といえば御薬園の名で知られる会津松平氏庭園。まずは女滝から心字池越しに亀島に建てられた楽寿亭と御茶屋御殿を望む。日本庭園にある池の多くは心字池と呼ばれる。漢字の「心」を模っていることから言われるが、実際にそのようにみえるものは、あまりお目にかからない。ちなみに心字池の代表格のひとつは太宰府天満宮 浮殿庭園だろか。
素晴らしい苔の道
最後も皆さんご存じの大内宿
時間が押してきたのでユックリとはせず、ネギ蕎麦を食すのは次回にした。
夕方閉門の5時近かったので観光客もその殆どが急ぎ足で駐車場に向かっていた。
我々はその流れに逆らって奥へ向かった。
五時のチャイムが響き渡り、あっという間に人影が少なくなった。

これから日光経由で一般道を帰る積りだったが、時間がかかり、午前様になりそうなので、白河ICから高速道で帰ることにした。
東北道は一部渋滞もあったが、順調に走って早めに帰着した。
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