秩父34観音巡礼-3

期  日  2020年12月13日(日)
参加者   椛澤他5名
順  序  第22番 華台山・童子堂  8:10
       第23番 松風山・音楽堂  9:00
       第24番 光智山・法泉寺  9:45
       第25番 岩谷山・久昌寺 10:20
       第26番 万松山・円融寺 11:10
       第27番 竜河山・大渕寺 12:45
       第28番 石龍山・橋立堂 14:00
       第29番 笹戸山・長泉寺 14:30
       第30番 瑞龍山・法雲寺 15:15

秩父34ヶ所札所巡礼も大詰めを迎えた第3回目、いつも通り高崎を7時に出発した。
今回最初は
華台山・童子堂だが、あれ??台紙には西陽山・栄福寺と印刷されている?
何か謂れが有るのかな?
茅葺屋根の仁王門、趣が有るのう。
中を覗くと、あれまあ一風変わった仁王様
観音堂でのお経の唱えかたも様になってきた。
境内には身代わり地蔵尊が有りがたく迎えて切れる。
その隣ではとげぬき地蔵様も。
童子堂の謂れ書き。
第23番 松風山・音楽堂
史跡説明
石段を登る
  六観音が彫られた梵鐘は明和5年の造りで音色が美しいので有名 
観音堂
音楽寺と言えば、秩父事件で武装蜂起した農民がここに集結して梵鐘を打ち鳴らし、秩父市街に突入した事でも知られるお寺。私も若いころ秩父事件を書いた本を読み、いつかは訪れたいと思っていたので、今日ここに来られたことに感謝している。観音様の思し召しか。
13権者石像
昔の人は松風を好んだようだ。

題名 宿生田  菅 茶山作 の漢詩の中に松籟(しょうらい)を聴く、の下りが有ったのを思い出す。
秋篠宮様が訪れたのか―!
ふと、南方を見れば秩父市内が朝もやに隠れ、名峰武甲がシルエットとなって立ち浮かんでいた。
第24番の御朱印は平成9年12月21日に頂いていた。
116段の石段を登ると本堂がある。
病気平癒の寺
此処からも武甲山が眼前に聳える。
ここの御朱印も平成9年12月21日に頂いていた。
このお手判が有名なお寺。100観音の中でここだけだそうだ。
あの世への通行手形らしい。今回は私だけ頂いた。500円也
御手判縁起
山門前には25番と彫られた大きな石碑が建つ。
御手判は閻魔大王からの贈り物らしい。
第26番万松山・円融寺
本堂は町中に有るが、現在修復中で、仮屋に簡単に済ませるようになっている。
が、300段の石段の先に観音堂は有ると言う。
300段の長い石段の始まり。
上り詰めたところに観音堂は有った。
と言うか、以前羊山公園からのハイキングでここを通った事を思い出した。
観音堂の裏から更に上に登ったところに大日如来?の銅像有り。
銅像の先には秩父修験道の聖地?の様な建物も有った。
第27番 竜河山・大渕寺 平成12年1月16日に御朱印を頂いた。
門前から綺麗に掃除された佇まいは気持ちも落ち着いた。
写真ではよく分からないが、門の上、空の下杉林の割れ目に白く観音様が見える。
弘法大師が刻んだと言う観音様がご本尊。でも拝見することは出来ない。
一口飲むと33か月長生き出来ると言う延命水、5口飲んだので13年ほど長生きできるかな?
第28番 石竜山・橋立堂 ここも平成12年1月16日に御朱印を頂いた。
観音堂でお参りしようとした時に、どこからか大きな声で聴いたような人の声がした。
雲取山の帰りだと言う我がMHC会員の三名が居た。
まさか、こんな辺鄙なところで出合とは!
ここの馬頭観音は鎌倉時代の優秀作らしい。
近くに鍾乳洞も有るが、現在は封鎖されていて、見学は出来なかった。
第29番 笹戸山・長泉院
  入ると直ぐにこの様な石庭が有った。
中々洗練されている。
 
謂れ書き
第30番 瑞龍山・法雲寺 今日のしんがりは30番
綺麗に手入れされた庭を行く。
やけにマムシ注意!の文字だけが目立つ。
観音堂は石段を登った先に有った。
一通りのことを済ませる。(線香・ロウソク・納札・礼拝・読経・御朱印)現在、コロナ禍の中なので手水は使わない。
片手を頬に、膝を崩した姿の「楊貴妃観音」が御開帳の時だけ拝見できるらしい。残念。
本日のお参りはこれで終了。
残り4寺は来週となるが、天気が持って欲しい。
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