黒檜岳(赤城山)

群馬ベルクバハト(救助隊)出動記録

期  日  2007年1月31日

 新聞によると2007年1月28日に赤城、黒檜山に登ったOさん(女性55歳)が夜になっても帰宅せず、30日未明に赤城山で車を発見。

 30日午前7時に救助隊副隊長の茂木さんより私に遭難救助出動の連絡がありました。私は誠に残念ながら、この日は重要な仕事が入っていて出動出来ず、MHC救助隊メンバーの小島さんに連絡した所参加してくれることになりました。

 30日夕方、小島さんより連絡があり今日は発見出来なかったので31日再度出動との事、私は居ても立っても居られず31日は会社をサボって参加することにしました。

 31日私達救助隊の他に県連傘下の各会の有志が続々と現地本部の有る大同へ終結。各会、各班ごとに無線機を持ってそれぞれの受け持ち山域に向かいました。
 30日に概ね捜索はなされていましたが、今日は更に詳細に捜索です。私は救助隊と一緒に
大同から黒檜山に向かう稜線の右側の崖を中心に捜索しました。

31日、本部前で打ち合わせ
グループ毎に一斉に捜索開始。二次遭難があっては大変なので慎重さが大事です。
猫岩周辺
猫岩より更に上部の岩場から懸垂で40m程下降しながら遭難者を捜索します。
県警のヘリコプターも上空から捜索してくれました。
何回か懸垂下降を試みます。50mザイルでは届かない長い絶壁もあります。
12時過ぎに一旦本部へ戻り、小休止と昼食をとっていると、遭難者発見!のコールがありました。
家族の方でしょうか、泣き声が聞こえたまりません。
一刻も早くと
早速現場へ向かいます。さすが救助隊の面々ラッセルをしながらどんどん行きます。私は付いて行くのがやっとです。
沢を越え尾根を越えやってきました。
此処が現場です
正面の涸れ滝(約15m〜20m位)を足を滑らせて滑落したのでしょうか?。
(正確な原因は分かりませんので私の主観で表現する事をお許し下さい)
滝の上部には滑った跡が有ったそうです。其処から落ちたと思われる下の場所から、遺体の有った場所まで約15m位。
おそらく、落ちた時点では意識が有り、15mほど移動してビバーク体制に入ったものと思われます。それは、その場所が岩の間の僅かな空間に身を沈めるようになっていて、手袋は脱いで脇にあり、薄い銀マットを被って防寒にしたように見えたからです。手袋が脱げていたと言う事はビバーク体制に入って必死に防寒の準備をしていながら意識が無くなったのでしょうか。
私は絶対助けるんだ!と、真剣に頑張ったのに残念で仕方有りません。
中央の横穴に居ました。
しっかり梱包して搬送します。
沢を皆で協力しながら降ります。
北面の車道を搬送
五輪峠
五輪峠を越え、どんどん降ります。この後本部前で待っている肉親家族と無言の対面ですが、余りにも哀しすぎて、私には表現できません。

O.R様の御冥福をお祈り申し上げますと供に御家族様にお悔やみを申し上げます。

助けてあげられなくて本当にごめんなさい。

国土地理院25000/1地形図「赤城山」より。  このルートや現場は公表されたものでは有りませんので、誤りもあると思われます。

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