剱岳2999m

期  日 2023年9月2-3日(土-日)
参加者 CL椛澤 他4名

タイム
  2日(土) 立山ケーブル駅8:20ーケーブル・高原バス乗り継ぎー室堂9:40ー雷鳥沢キャンプ10:50-別山乗越13:00~13:40
       ー剣山荘15:50
  3日(日) 剣山荘4:30-一服剱5:05ー前剱6:05ー平蔵コル7:20-剱岳8:00~8:30ー剣山荘11:30~11:45ー別山乗越13:40
        室堂16:20~高原バス・立山ケーブル~駐車場17:40

(9月2日(土)

関越自動車道、越後川口SAの夜明け。

週末の天気に一喜一憂しながらも実行の日を迎えて、我等5人は颯爽と富山に向かった。
立山ケーブル駅の駐車場は河原の方に停めたが、満車状態では無く、首尾よく停めることが出来て先ずは一安心。
ケーブルと高原バスを乗り継いで立山室堂に到着。
それなりに観光客は居たが、この湧水の前に人だかりは無く、夏山の季節の終わりを告げている様だった。
ミクリガ池
雷鳥沢へ降る途中から見える立山。
ナナカマドの真っ赤な実が登山道に彩を添えてくれていた。
雷鳥沢キャンプ場を素通りして、別山乗越への登りに入ったら、眼下に広がる広大な景色。
別山乗越近くまで登って来ると、秋のお花のトウヤクリンドウは既に晩秋の趣。
剱御前小屋の前、人は疎ら。
ここからは剣山荘へ向かって降るのみ。
しか~し!
登山道は以前より荒れていて、歩きずらかった。
真っ赤なチングルマの果穂がこれだけ赤いのを初めて見た感じ。
イワツメクサの咲き残り。
オヤマリンドウも終わりの季節を迎えているようだ。
石がゴロゴロしていて歩きずらい道を行くと、ようやく今夜お世話になる剣山荘が見えてきて、思わず「見えたよーっ」と歓声を上げてしまった。
ヒョウタンボクの赤い液果
今夜のお宿、剣山荘に到着。
早々と予約をしていた為か、我々だけで一部屋を与えられ、伸び伸び出来たので嬉しかった~(#^.^#)。
焼き魚に豚カツ新鮮野菜の付け合わせはボリュームが有って、ご飯のお代りすることなく満腹になった。
お味噌汁が美味しかったので、二回おかわりした(^^ゞ。
9月3日(日)

今日はいよいよ剱岳アタック!
早朝4:30に出発とした。
既に小屋泊まりの人達の多くは4時頃出発していて、我々アタック隊は出遅れのかん有り。
太陽が顔を出す前の天体ショーは、今日の晴天を保障していた。
一服剱で一服。
既にヘッドライトは収納済み。
元気もりもり。
雷鳥の雄や雌がウロチョロ。図体は親鳥並みだが未だ子供の様だった。
この雷鳥は私の前で砂浴びをしていて、逃げる気配は無かった。
しばらくそのままにしてあげた。
白山では沢山咲いていたカライトソウが、ここに咲いているのは想定外の歓び。
影剱が富山市から富山湾迄延びていた。
左の山脈は大日連峰
前剱頂上にて。
細長い鉄橋を、両手を広げて平均台を渡るように渡ると、以外に簡単に渡ることができた。(左下)
その次に待っているのがカニノヨコバイと勘違いする、クサリを頼りに絶壁をトラバースする難所。
でも足元はしっかり足を置けるスペースが有るので、見た目よりは簡単に渡れる。
ウサギギクが私を待っていてくれたかの様に綺麗に咲いていた。
私の好きな高山植物の一つ。
山頂を目指す前に何度も登ったり降ったりのクサリ場がある。
晴れている時のステンレスのしっかりしたクサリも一たび雨が降って濡れると、とっても滑りやすくなるので注意が必要。
早月尾根分岐
TJAR(Trans Japan Alps Race)に参加する人達も日本海沿岸からここ迄登り上げ、また更に南下するのである。
凄すぎる!としか言いようがない。
山頂標識が沢山有る事が、以前との違いか!(>_<)。
まだ足元にも有って全部は持てない(>_<)。。。

山頂脇の絶景スポット
     



















私も格好を付けてワンショット
丁度人が居ないところのお社をパチリ。
(ここ迄無事登れたことの御礼と、これから無事下山できます用に~。)の願いを込めて。
カニの横ばい、の難所は通過するのに精一杯で、写真を撮ることを忘れていた。
今回は足を置く位置に赤いペイントが塗ってあり、安心して通過出来た。

この階段は殆ど垂直に近い角度だが、しっかり固定されて居たので安心して降りることはできた。
ここの辺りは登りと下りが交差しない様に別ルートの分けられている。
急なクサリ場が続く。
命綱のクサリを離さないよ~に~!
難所の一つを終わったところにオヤマリンドウが朝陽を浴び蕾だった花びらを開いていた。ラッキー。
少しはしょって。

剣山荘でデポしておいた荷物を回収、重くなったザックを背負って下山開始。
帰りは剣山荘から剣沢小屋経由で別山乗越に向かう。
振り返ると剣山荘の上に剱岳雄大だった。

石井逸太郎いしいいつたろう

熊本県生まれ[1]東京帝国大学卒業後[1]、1925年に旧制富山高校に赴任する[1]

富山では、恩師である山崎直方が発見した立山山崎カール(石井が命名)の調査を続け[1]1943年に発表した論文「立山連峰の氷河作用‐特に山崎圏谷に就いて」により、1945年に氷河地形としては初めて国の天然記念物に指定させる契機を作った[1]1947年富山市立芝園中学校の初代校長に就任。また、同年行われた昭和天皇北陸巡幸の際には進講役を務めた[1]

1955年8月、立山剱沢の調査を行っている最中、誤ってクレバスから滝へ転落して死亡[1]。同年11月、功績を評価されて富山県文化賞文化特別感謝状を授与された

『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

(剣沢から別山乗越に向かう途中にあったプレート)
ギリギリ高原バス最終便16:30に乗りケーブルを乗り継いで無事駐車場に到着、時間は17:40を指していた。

途中「立山吉峰温泉ゆ~ランド」で2日間の汗を流し、有磯海SAで夕食を食べ、帰途に就いた。
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